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'''ヴィリー・ブルメスター'''('''''Willy Burmester''''', [[1869年]][[3月16日]] [[ハンブルク]] - [[1933年]][[1月16日]] [[ハンブルク]])は[[ドイツ]]の[[ヴァイオリニスト]]。
 
ベルリン高等音楽学校で[[ヨーゼフ・ヨアヒム|ヨアヒム]]に学ぶ。[[1885年]]に古典的な純粋な様式美よりも、超絶技巧に磨きをかけようとの目論みから、[[ベルリン]]のヨアヒムの許を去る。
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ブルメスターは、[[ハンス・フォン・ビューロー]]にも認められたほど高度な腕前の演奏家であり、あらゆる楽派の作品を十分に演奏できるだけの幅広い趣味をそなえていた。おはこは[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]の作品だったが、しかしながら古典的な作品の演奏はやや冷淡で、情感に欠けていたと伝えられる。ヨーロッパ大陸では非常に高い評価を受けていたが、イギリスやアメリカで初めて演奏した際は、聴衆を感動させることができなかった。それでも左手のピチカートや、重音奏法による急速なパッセージのように、驚異的な超絶技巧で聴衆をひき込むことができた。ブルメスターの演奏はピッチがあやふやで、それがいくらか成功の妨げになったようだ。後年になってこのような欠点はかなり改善され、高年のブルメスターの演奏に接した者は、掛け値なしの美点に大いに感銘を受けている。ブルメスターは音楽活動において、心なしか足枷を感じており、親指の付け根を痛めたために、かなりの苦痛を感じていたようだ。
 
[[1923年]]に訪日し、演奏会を行うとともに、自作の小品をアコースティック録音した。[[野村胡堂|あらえびす]]こと野村胡堂が伝えたところによると、リサイタル当日は聴衆の入りが悪くて落胆したということらしい。
 
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[[Category:1869年生|ふるめすたあ ういりいドイツのヴァイオリニスト]]
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