蘆塚 忠兵衛(あしづか ちゅうべえ、1577年?~1638年4月12日)は島原の乱の一揆軍軍師。キリシタン信者だったと思われる。
父は蘆塚忠兵衛尉(宇土城代)で父と小西行長に仕える。
関ヶ原の戦い後は天草にかくれ住む。 島原の乱で戦死。