「尾形乾山」の版間の差分

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'''尾形 乾山'''(おがた けんざん、 [[寛文]]3年([[1663年]]) - [[寛保]]3年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1743年]][[7月22日]])は、[[江戸時代]]の絵師、陶工。
 
[[京都]]の呉服商、雁金屋の三男として生まれる。兄は[[尾形光琳]]は兄にる。乾山の性格は、遊び人で派手好きだった兄・光琳と対照的に内省的で、書物を愛し隠遁を好んだという。乾山37歳の時、かねてより尾形兄弟に目をかけていた[[二条綱平]]が京の北西・[[鳴滝 (京都市右京区)|鳴滝]]の山荘を与えた為ここに窯を開く。その場所が都の北西(乾)の方角あたることから、「乾山」と号。正徳2年(([[1712)50年]])50歳のとき京都市内の二条丁子屋町(現在の二条通寺町西入北側)に移住し、多くの作品を手がけた。作風は自由闊達な絵付けなどに特徴がある。のち69歳の享保16年([[1731年]])69歳の時、江戸・入谷に移り住み、81歳で没した。
 
*乾山の名は2代、3代と受け継がれていった。6代乾山(1851-1923年)は[[バーナード・リーチ]]の師。