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 '''西馬音内'''(にしもない)とは[[秋田県]][[羽後町]]にある地名。羽後町の政治、経済、文化の中心であり、日本3大盆踊りとも称される[[西馬音内の盆踊]]が毎年夏に開催される。以前は私鉄の駅(西馬音内駅)があったが、現在は廃線となり、最寄のJRJR駅は奥羽本線の[[湯沢駅]]である。湯沢駅からは西に約10キロメートルの位置にある。
 
== 歴史と変遷 ==
 
 現在の西馬音内の中心部は[[江戸時代]]には西馬音内前郷村と呼ばれていた場所で、西馬音内川に沿った上流に西馬音内堀廻村があった。堀廻村には一帯を江戸時代直前まで支配していた[[小野寺氏]]の居城である西馬音内城があった。堀廻村は西馬音内川が山間地から流出する際の扇状地を形成する際の扇のカナメの位置に相当する麓(ふもと)集落であり、前郷村は谷が山から出た口に、山方の人々や里方の人々の取引のための市場を中心にできた谷口集落に相当する(1)。交通の要衝である上に堀廻村やそ後方の山間の村を後背地としてしてもつ、広い商圏をもった商業の中心的役割を前郷村は有していた。[[戦国時代]]、小野寺氏の治世が安定したものであったため、他の地に比べて治安の保たれた文化的にも豊かな平和郷であったといわれ、情操豊かな文化が西馬音内の盆踊りのような芸術性の高いものを生み出したと考えられている。西馬音内前郷村は、明治時代に大戸村、床舞村、田沢村、鹿内村とともに西馬音内町となり、西馬音内堀廻村は飯沢村とともに元西馬音内村(通称元西)となった。また、昭和30年4月1日をもって、両町村を含む近隣7町村が合併し、羽後町となっている。
 
== 地名の由来 ==
 
 西馬音内は「にしもない」と現在は呼ばれているが、古代には「にしまおんない」であったとの説で、地名の由来は[[アイヌ語]]であるらしい。由来は「雲湧く谷」など多説あり、定説はない。「おんない」は扇状地のような地形をさすことばで、渓谷が開ける地形をさしていると推測される。秋田県内には「毛馬音内(けまない)」等の地名があり、すべて地形的には合致するといわれている。また「ナイ」は川を意味するとされ、北海道などをはじめ広範に地名がみられる。
 
== 西馬音内の盆踊り ==
 
 [[西馬音内の盆踊]]はこの地区を全国的に有名にしている一大イベントで、国指定[[重要無形民俗文化財]]である。日本の三大盆踊に数えられるとともに秋田県の三大盆踊でもある(他の二つは毛馬内、一日市の各盆踊り)。
 
== 出身有名人 ==
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== 参考文献 ==
 
1)羽後町郷土史。* 羽後町郷土史編纂委員会編集、『羽後町郷土史』1966年