「幼児洗礼」の版間の差分

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[[Image:Child_baptism_with_water.jpg|thumb|right|180px|幼児洗礼]]
 
'''小児洗礼'''、'''幼児洗礼'''とは、キリスト教の[[秘蹟]]・[[機密 (キリスト教)|機密]]・[[聖奠]]・[[礼典]]と位置付けられる[[洗礼]]のうち、幼児・小児への洗礼を言う。神学上の議論では、しばしば「子」を意味する[[ギリシア語]]の「pais」からpaedobaptism、pedobaptism、と呼ばれる。幼児洗礼は、[[ラテン語]]の信条を意味するクレドの「私は信じる」に由来して「信仰者のバプテスマ」(credobaptism)と呼ばれる、しばしば成人が受ける洗礼と対比される<ref>日本では幼児洗礼に対して[[成人洗礼]]の語が一般的である</ref>
 
以下に幼児洗礼を行う[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]と行わない教派の一覧を挙げるが、洗礼の伝統を有する代表的な教会の一覧であり、そもそも洗礼の伝統が無い[[無教会]]やキリスト教系[[カルト]]などは含まれて居ない事に注意されたい。
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==歴史==
幼児洗礼が最初に行われた時期について、学者の間で意見が異なっている。何人かのある学者は初期のクリスチャンが幼児洗礼を行わなかったと考える。他の学者は[[使徒行伝]]10:24、10:47-48、11:14、16:15、16:33、18:8、第一コリント1:16に、家族全体に洗礼を授けた記事があることから、幼児や小児がその中に含まれたと考える。また幼児・小児洗礼を行う教会では、洗礼は[[割礼]]と軸を一にするものと考えられている。その根拠聖句は第二コロサイ2:11-12、ローマ4:9-12である。
 
洗礼について書かれた聖書以外の文献では、100年頃の[[ディダケー]]に記述がある<ref>『使徒教父文書』ISBN 4061976079</ref>。ディダケーでは受洗前の断食を命じており、幼児洗礼ではなく成人洗礼について述べていると考えられる。2-3世紀の文書は、幼児に洗礼を授けたことを示している。[[エイレナイオス]]の記述は幼児への洗礼を含んでいる。<ref>本節のオリゲネスに関する記述以降の出典:[[イラリオン・アルフェエフ]]著、ニコライ高松光一訳『信仰の機密』(107頁)[[ニコライ堂|東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)]] 2004年</ref>[[オリゲネス]]は幼児洗礼を「使徒の言い伝え」と呼んでいる<ref>オリゲネスによるローマ5:9講解、ヨブ14:4-5講解、レビ8:3講解、ルカ14章説教</ref>。カルタゴ公会(4世紀)規程第124項には「自分自身では罪を犯していないが、原罪から解放されるべき幼児や新生児に洗礼を授ける必要性を否定する者を破門する。」という規定がある。
 
==脚注==
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==参考==
*『キリスト教神学入門』マクグラス 教文館
*『聖書の教理』尾山令仁 羊群社
 
 
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