「山田右衛門作」の版間の差分

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'''山田 右衛門作'''(やまだ えもさく、[[1575年]]?~[[1657年]])は、[[島原の乱]]で[[原城]]に立て篭もった中でただ一人の生存者として知られる人物。
 
ポルトガル人に絵を習い、南蛮絵師として[[有馬直純]]・[[松倉勝家]]に仕えていた。島原の乱が発生したときには[[口之津町|口之津]]に住んでおり、村人全員とともに城に立て篭もった。城内では幹部格であり、世界三大聖旗にも数えられる「天草四郎陣中旗」([[天草切支丹館]]蔵、国の重要文化財)を描いたのも山田だという。
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幕府軍との交渉のための[[矢文]]の文章の作成もしており、その役目を利用して幕府軍に内通した。内通が発覚して牢に入れられるも、間もなく落城。落城の際は幕府軍の者に斬られかけたが、矢文を見せて生き延びた。
 
乱後は[[江戸]]に連行され、幕府軍の取調べを受けた。その際の口上書は、城内での様子を知る貴重な資料となっている。

その後は江戸で暮らしたという。
 
{{people-stub|やまた えもさく}}