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'''駒木根 友房'''(こまぎね ともふさ、生年不詳 - [[寛永]]15年([[1638年]]))は[[島原の乱]][[一揆軍]]の評定衆のひとり。通称は'''八兵衛'''。もとは[[小西行長]]の家臣だった。
糸針の穴をも撃ちとおす銃の名手で'''
下針
金平'''ともよばれたという。
[[原城]]討伐軍の大将・[[板倉重昌]]を討ち取ったという。