「ニナ・リッチ」の版間の差分

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en:Nina Ricci (brand)11 October 2008, at 16:37より一部翻訳
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1963年、クラエーはニナ・リッチを去り、[[ランバン]]へ移籍した。そしてすぐ、[[ジャック・ファット]]とジャン・パトー(Jean Patou)が引き抜こうとしていた、[[ピエール・バルマン]]で働いていたジェラール・ピパール(Gerard Pipart)が着任した。彼は上品で美しい洋服をつくっていたニナ・リッチのブランド名をさらに高め続けた。
 
1970年のマリア・リッチの死後、クラエーはブランドの総帥に任命された。ロベルトは香水部門に集中し続け、1988年に亡くなるまで働いていた。
 
マッシモ・グイッサン家が、1988年にクラエーからニナ・リッチ・ブランドを買収した。マッシモ・グィッサンはデザイナーとして仕事をしたが、数年間ナタリー・ジェルヴェがチーフ・デザイナーを務めた。ナタリーの最後のコレクションは2001年秋冬であった。2002年5月、アメリカ人デザイナージェームズ・アギラルがチーフ・デザイナーに就任し、2シーズンデザインした。
 
2003年、ラース・ニルソンがデザインしたニナ・リッチは、評論家から不安定な見通しをもって迎えられた。彼は2006年初頭に突然再デザインを行い、同年9月に[[ブリュッセル]]出身のデザイナー、[[オリヴィエ・ティスケンス]]がチーフ・デザイナーに就任することが発表された(それまでティスケンスは[[ロシャス]]のデザイナーであった)。
 
==香水==