「紫式部日記」の版間の差分

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'''紫式部日記'''(むらさきしきぶにっき)は[[紫式部]]によって記された[[日記]]とされる。
 
[[写本]]は[[宮内庁書陵部]]蔵の黒川本が最もよいとされているが一部記載については他の写本がすぐれているとも。写本の表紙の表題は『紫日記』とあり、内容にも紫式部の名の記載ははなく、いつから紫式部日記とされたかは不明。
 
全2巻であり1巻は記録的内容、2巻は手紙と記録的内容である。[[源氏物語]]の作者が紫式部であるという通説は、伝説とこの『紫日記』にでてくる記述に基づいている。
 
== 内容構成 ==
[[寛弘]]7年([[1010年]])に完成されたとするのが通説である。[[中宮]][[藤原彰子|彰子]]の出産が迫った寛弘5年([[1008年]])秋から同7年正月にかけての諸事が書かれている。史書では明らかにされていない人々の生き生きとした行動がわかり、歴史的価値もある。自作『源氏物語』に対しての世人の評判や、宮中の同僚であった[[和泉式部]]・[[赤染衛門]]、ライバル[[清少納言]]らの人物評や自らの人生観について述べた消息文などもみられる。
 
和泉式部に対しては先輩として後輩の才能を評価しつつもその情事の奔放さに苦言を呈したり、先輩に当たる赤染衛門には後輩として尊敬の意を見せている。特に清少納言への評では「清少納言と言うのはとても偉そうに威張っている人である。さも頭が良いかのように装って漢字を書きまくっているけれども、その中身を見れば稚拙なところが多い。他人より優れているように振舞いたがる人間は後々見劣りするであろう。(中略)そういう人間の行末が果たして良いものであろうか」などと、徹底的に扱き下ろしている。
 
13世紀([[鎌倉時代]])には『紫式部日記絵巻』という紙本着色の[[絵巻物]]が著された。作者は不詳である。
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== 本文 ==
いくつかの校訂書が出版されている。
*『紫式部日記』 [[池田亀鑑]][[秋山虔]]([[岩波文庫]]、1964年1月ISBN 978-4003001578
*『紫式部日記〈上〉上、[[宮崎荘平]]([[講談社学術文庫]]、2002年7月ISBN 978-4061595538
*『紫式部日記〈下〉下、宮崎荘平講談社学術文庫、2002年8月ISBN 978-4061595545
*『紫式部日記』 小谷野純一笠間書院 笠間文庫 原文&現代語訳シリーズ、2007年4月ISBN 978-4-305-70420-7
*『新編 日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』 藤岡忠美中野幸一犬養廉石井文夫([[小学館]]、1994年8月ISBN 4096580260
*『新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』 長谷川政春今西祐一郎伊藤博吉岡曠([[岩波書店]]、1989年11月ISBN 4-00-240024-7
 
== 関連項目 ==
* [[日本の中古文学史]]
* [[日記]]
* [[紫式部]]