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== 戦績 ==
体質の弱さからデビューは遅れ、デビューを果たしたのは[[2003年]]
初戦は出遅れながらも2着に入り、2戦目で初勝利を挙げた。
続く3歳上500万下2着の後は芝に転向。4戦目の阪神・3歳上500万下2着以降は芝のレースを使い続けている。
同年
[[2004年]]、初の関東遠征となった迎春ステークスでは一番人気に支持されるも4着に敗れ
オープン入り初戦の[[目黒記念]]では1番人気に押されたが、5着に敗れた。その後は北海道[[ノーザンファーム]]へリフレッシュ放牧。
[[2005年]]、[[万葉ステークス]]で[[ファストタテヤマ]]やチャクラを退けて2連勝を果たし、長距離戦線における常連的存在として定着。2度目の重賞挑戦となった[[阪神大賞典]]では[[マイソールサウンド]]の2着に終わったが、[[リンカーン (競走馬)|リンカーン]]に先着した。そして[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]で初めてG1に挑戦し、有力馬がこぞって崩れた中を渋太く粘り抜いて3着に入った。
秋には日本馬として初めて[[オーストラリア]]に遠征を行った。遠征初戦の[[コーフィールドカップ]]ではその年の[[シンガポール航空インターナショナルカップ]]優勝馬マミファイを直線競り落とすも、ゴール寸前でレイリングスに差し切られ2着に終わ
この惜敗で現地の評価の高まったアイポッパーであったが、続く[[メルボルンカップ]]では、[[マカイビーディーヴァ]]のメルボルンカップ三連覇の偉業の前に12着と惨敗してしま
帰国後は予備登録のあった[[香港ヴァーズ]]を自重して全休。来シーズンに備えることにな
[[2006年]]、阪神大賞典、天皇賞(春)と長距離路線を歩んでいくが、[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の壁にはばまれ好成績を残すことはできず、それぞれ6着、4着に終わ
再びしばしの休養のあと、[[京都大賞典]]から始動するが6着に
その後[[有馬記念]]に挑戦が表明されるが裂蹄のため回避。翌年の天皇賞を目標に調整されることにな
[[2007年]]、阪神大賞典では[[武豊]]を背に先行策からゴール前で一番人気[[ドリームパスポート]]を抑えて優勝し重賞2連勝を果た
[[2008年]]、骨折を乗り越えて[[京都記念]]で復帰するが最下位16着に終わ
四度目の挑戦となった、天皇賞(春)では11着と惨敗したものの、続く目黒記念はトップハンデを背負いながら[[ホクトスルタン]]の5着に健闘した。 夏場はノーザンファームでリフレッシュ放牧、9月16日に栗東に帰厩した。迎えた秋初戦、京都大賞典では内からしぶとく伸びて3着に入り、健在ぶりをアピールした。その後[[香港ヴァーズ]]、[[香港カップ]]の予備登録を行ったが、裂蹄が悪化したことから回避。再び放牧に出された。
== 競走成績 ==
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