「鳥海山大物忌神社」の版間の差分

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:* [[承和 (日本)|承和]]6年([[839年]]) [[従四位|従四位下]][[勲等|勳五等]]
::同年の噴火が[[遣唐使|遣唐使船]]の遭難を予告したものとして、[[神封戸|神封]]2戸の寄進と共に[[仁明天皇]]の宣命が添え下された。<ref name="shokunihon" />
 
:* [[貞観 (日本)|貞観]]4年([[862年]]) [[正四位|正四位下]][[勲等|勳五等]]
 
:* [[元慶]]2年([[878年]]) [[正三位]][[勲等|勳三等]]
::[[元慶の乱|秋田夷乱(元慶の乱)]]において朝廷軍が敗退したのを受け占ったところ、古来より征戦に霊験を有する大物忌神、月山神、小物忌神の3神が、神気賊に帰して祈祷が届かなくなってしまったと出た。そこで爵級を増せば霊あるべしとして、勳五等を勳三等に進めた。<ref name="sandai" /> さらに[[神封戸|神封]]2戸を加増している。
 
:* [[元慶]]4年([[880年]]) [[従二位]][[勲等|勳三等]]
===出羽国一宮===
[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])には[[延喜式神名帳]]により式内社、[[名神大社|名神大]]とされた。また、同式の『主税式』においても祭祀料2,000束を国家から受けている。『延喜主税式』によれば、
当時国家の正税から祭祀料を受けていたのは[[陸奥国]][[鹽竈神社]]、[[伊豆国]][[三嶋大社|三島社]]、[[淡路国]]大和大国魂社の4と他に3社しかないことから、大物忌神社が国家から特別の扱いを受けていたことが伺える。
 
[[出羽国]][[一宮]]とされ、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[正平 (日本)|正平]]13年([[北朝 (日本)|北朝]]の元号では[[延文]]3年、[[1358年]])、[[南朝 (日本)|南朝]]の[[陸奥守]]兼[[鎮守府将軍]]である[[北畠顕信]]が南朝復興と出羽国静謐を祈願した寄進書<ref>吹浦口之宮 所蔵 ([[重要文化財|国重要文化財]])</ref>に出羽国一宮の記述が見える。これが文献上における一宮名号の所見であるとされる。
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