「今西祐行」の版間の差分

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[[大阪府]]出身、[[奈良県]][[生駒市]]育ち。[[早稲田大学]]文学部卒業。[[早稲田高等学院]]在学中に早大童話会に入り、[[坪田譲治 (作家)|坪田譲治]]主宰の「[[びわの実学校]]」の同人となり創作活動を始める。早大在学中に[[学徒出陣]]、原爆投下翌日の広島に救援隊として行ったことが、「あるハンノキの話」「ヒロシマのうた」の素材となった。
 
1965年の『[[肥後の石工]]』で[[日本児童文学者協会賞]]と[[国際アンデルセン賞]]国内賞など、69年、「浦上の旅人たち」で[[野間児童文芸賞]]、81年、『光と風と雲と樹と』で[[小学館文学賞]]、[[日本児童文芸家協会賞]]、86年、「マタルペシュペ物語」二部作で[[路傍の石文学賞]]、91年、『今西祐行全集』で[[芸術選奨]]文部大臣賞および[[赤い鳥文学賞]]特別賞を受賞。
 
その他、「ヒロシマの歌」、「一つの花」、「とうげのおおかみ」、「ねことオルガン」、「入れ歯をしたロバの話」、「遥かなりローマ」、など著書多数。主要著作は「今西祐行全集」(全15巻)として[[偕成社]]より刊行された。