「ニノ・ブルジャナゼ」の版間の差分

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| 画像 = Nino Burdschanadse.jpg
| 画像サイズ =
| 国名 = {{GEOGEO1990}}
| 代数 = 第3
| 職名 = 大統領(暫定)
[[1995年]]に[[国会議員]]に初めて当選する。これ以前から彼女は[[エドゥアルド・シェワルナゼ]][[大統領]]の[[政党]]であるCUG(Citizen’s Union of Georgia、[[グルジア市民連合]])に所属していた。彼女は[[1999年]]までグルジア[[法務省]]長官も務めており、その後は[[外務大臣]]に就任。[[2000年]]からはOSCE(Operation of Security and Co-operation of Europe、[[欧州安全保障協力機構]])の副議長を務め、[[2001年]]から2002年にかけてはPABSEC(Parliamentary Assembly of the Black Sea Economic Co-operation、[[黒海経済協力機構]])議会集会委員長も歴任した。
 
[[2003年]][[11月2日]]に行われた[[グルジア]]大統領[[選挙]]では、[[出口調査]]の結果などから開票の不正がささやかれており、アメリカ合衆国はこれに対して非難を表明していた。しかし、2003年11月22日には[[エドゥアルド・シェワルナゼ]][[大統領]]率いる「選挙に基づいた」議会が招集された。
 
この議会開会式には選挙のやり直しを求めた反対派の[[議員]]は出席せず、議場の外には不正な[[選挙]]に激怒した[[市民]]が押しかけた。[[エドゥアルド・シェワルナゼ]]大統領が開会の辞を朗読すると、場外に押しかけていた[[市民]]25,000人が議場へと一気に突入する事態になった。この混乱によって[[エドゥアルド・シェワルナゼ]][[大統領]]は[[首都]]トビリシから逃亡し、翌[[11月23日]]には大統領辞任を表明した。
{{main|バラ革命}}
 
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