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'''石川 詮持'''(いしかわ あきもち、生年不詳 - [[ (日本)|]]6年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]([[1351年]][[12月30日]]))は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の武将。[[大和源氏]]の流れを汲む[[陸奥石川氏]]15代目当主。元服に際し、足利義詮から詮光の偏諱を受けた。[[石川義光]]の長男。[[従五位下]][[中務大輔]]。夫人は[[平盛定|蘆名盛定]]の娘。
 
[[延元]]4年10([[1339年]])10月、14代当主[[石川貞光|貞光]]が没するが、子がなかったため、13代当主[[石川時光|時光]]の孫である詮持が後を継いだ。
 
6年10([[1351年]])10月、上洛して従四位下大膳大夫に任じられ、名を詮持と改める。
 
同年12月4日、病により鎌倉で没す。
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         ┣持重(川尻家の嗣)
         ┗七男(早世)
 
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[[Category:南北朝時代の人物 (日本)]]
[[Category:1351年没]]