「山田久志」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Oneuchi (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
139行目:
* [[中日ドラゴンズ]]入団前には[[読売ジャイアンツ]]の[[長嶋茂雄]]監督からも投手コーチとしての誘いを受けたが、妻の病気を理由に断っている。が、中日の[[星野仙一]]監督より直に強く説得され、「星野監督を男にしたい」と引き受けた。星野の後を引き継いで監督に就任が決まったのは、星野の意向だと言われている。しかし、直後に星野が[[阪神タイガース]]の監督に就任し、[[島野育夫]]ヘッドコーチも引き抜かれたりしたために球団内の強いバックアップを失うこととなった。
* 来歴の項に記したように、2003年シーズン途中で[[休養]](事実上の監督更迭)となり、ファンの間でも物議をかもした。これは選手として中日に在籍した経験が無く、また[[東海地方|東海圏]]の出身でもない「外様」である上に、生真面目な性格ゆえにOBとの軋轢が絶えなかったためとも、当時のチームが慢性的な貧打・故障者続出に悩まされていたからとも言われている。しかし長らく中日の投手・ヘッドコーチを務めていたことや[[愛知県]]出身でブレーブス(の後身ブルーウェーブ)の後輩にあたる[[イチロー]]と親交があることもあってか、退任後も東海地方での仕事が増えている。中日戦の解説を務めることも多い。
*[[2002年]][[7月26日]]の対阪神15回戦(甲子園)において、[[山崎武司]が同点で迎えた9回表一死満塁のチャンスで空振り三振。チームもその裏に[[英智|蔵本英智]]のエラーでサヨナラ負けを喫してしまう。試合後、新人監督山田は「どこかでブツっと切ってしまう。なんかお通夜みたいなもんだ。さらにアイツを使うオレが悪いんだけど。チームを奈落の底につき落としてしまう選手がいる。何とかしてくれたらいいんだけど」と発言する。この発言が山崎を指したものか不明であったが、山崎は「(悪いのは)蔵本じゃない。今日はオレだ。オレが打っていれば、ミスもなかった」と話した。この後、ほとんど出場機会を与えられることはなく、この年のシーズン終了後、平井との交換トレードで[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]に移籍することとなる。
* 監督としての評価は2つに分かれる。ひとつは打線の深刻な力不足、首位に大きく遅れを取っての2位〜3位が定位置だったことから来る否定的意見。もうひとつは[[福留孝介]]の[[外野手]][[コンバート (野球)|コンバート]]や[[荒木雅博]]を起用し続けたこと、投手陣の整備を果たしたという肯定的意見である。現在ではチーム状況が良いこともあってか、山田の残した功績面が評価されることも多い。