「フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク」の版間の差分

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[[Image:Flushing Meadows Globe.jpg|right|thumb|250px|ステンレスのフレームでできた巨大な地球儀、[[ユニスフィア]]。もともとは1964年のニューヨーク万国博覧会のシンボルで、終了後もフラッシング・メドウズ・コロナ・パークに残された。]]
 
'''フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク'''('''Flushing Meadows–Corona Park''')は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク]]市[[クイーンズ区]]北部、フラッシング地区に位置する公園。フラッシング・メドウ・パーク(Flushing Meadow Park)、フラッシング・メドウズ・パーク(Flushing Meadows Park)、あるいはただ単にフラッシング・メドウズ(Flushing Meadows)とも呼ばれる。公園の面積は約508haで、ニューヨーク市の公園としては[[ブロンクス区]]のペルハム・ベイ・パークに次いで広い。公園の管理・運営にはニューヨーク市公園・レクリエーション局があたっている。
 
この公園のある地は、もともとは[[F・スコット・フィッツジェラルド]]の小説「[[グレート・ギャツビー]]」で''a valley of ashes''と著されるようなごみの処分場で、コロナ・アッシュ・ダンプスと呼ばれていた。都市計画家ロバート・モーゼスは、この地に[[1939年]]の[[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]会場を設営するにあたって、積み上げられた灰を周辺の高速道路の基礎に混ぜることで処分した。1939年の万国博覧会で使用された建物のいくつかは、[[1946年]]に[[国際連合]]が設立された後、[[1952年]]に[[国連本部ビル]]が完成するまでの間、国際連合の仮本部として使われていた。当時、万国博覧会でのニューヨーク州館は国際連合総会会場として使われていた。[[1964年]]の[[ニューヨーク万国博覧会 (1964年)|万国博覧会]]では、この建物はニューヨーク市パビリオンとして再利用され、ニューヨーク市のパノラマを展示した<ref>[http://www.queensmuseum.org/panorama/about.htm About Panorama]. ''The Panorama of the City of New York''. Queens Museum of Art.</ref>。この建物は1939年の万国博覧会で建てられたものとしては唯一現存するもので、現在ではクイーンズ美術館として利用されている。1964年の万国博覧会で展示されたパノラマはそのまま美術館の館内に残され、ときどき更新されている。1964年の万国博覧会のシンボルとして造られた[[ユニスフィア]]は、会期終了後もそのまま残され、フラッシング・メドウズ・コロナ・パークのシンボルとなっている。このユニスフィアは、もともとは1939年の万国博覧会のシンボルであったペリスフィアが立っていたところに造られた。
 
しかし、1964年の万国博覧会で建てられた建物や造られたシンボルのうち、ニューヨーク市パビリオンやユニスフィアのように会期終了後も残ったものは少数で、ニューヨーク州パビリオンやアメリカ合衆国パビリオンなど、多くは使い道が見つからないまま老朽化したり、取り壊されたりした。
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