「聖霊のバプテスマ」の版間の差分

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[[ローマ・カトリック]]の公式の見解では、カトリックの[[堅信]]の時に、「[[ペンテコステ]]の日に、一度[[使徒]]に与えられた聖霊の特別の注ぎ」を受ける。つまり、聖霊は[[洗礼]]と堅信によってすでに与えられていると考えられる。しかし、[[カトリック・カリスマ刷新]]は、聖霊による更なる経験があると信じる。「聖霊のバプテスマは[[秘跡]]ではないが・・・秘跡と関係している。」
この出来事「聖霊のバプテスマは御霊の実を結び、キリスト者生活を刷新する。」このように洗礼と堅信を通してすでに与えられた賜物の刷新という点にカトリックの強調点がある。
 
==ペンテコステ派==
[[ペンテコステ派]]では聖霊のバプテスマは[[異言]]を伴うものだと主張し、[[新生 (キリスト教) |新生]]と区別している。[[チャールズ・パーハム]]は「聖霊のバプテスマを受けることが[[患難時代|大患難時代]]を逃れる唯一の方法であり、異言がその唯一の保証である」とした<ref>大川修平『ペンテコステ神学』 p.206 </ref>。
 
==福音派==
[[福音派]]は新生した時クリスチャンの内に聖霊が内住することから、新生と聖霊のバプテスマを同一視することが多かったが、[[マーティン・ロイドジョンズ]]や[[尾山令仁]]は新生を「聖霊によるバプテスマ」とし、キリストによる「聖霊のバプテスマ」と区別している。
 
==脚注==