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'''信愛'''の子の中では一番無能であったらしく、『[[参考諸家系図]]』には「信直公の時父の功を持って(中略)二千五十石を給う」とある。また、異母兄'''北愛清'''と家督を巡って争っていたが、父'''信愛'''は、当初から'''愛清'''を後継者に定めていたので、'''定愛'''の一人相撲であった。[[大館城]]代の時[[安東氏]]との戦いの最中に異母兄'''愛清'''を罠にはめ[[安東氏]]の捕虜にさせるなどの行いをしたために'''信愛'''に勘当される事態となった。異母兄'''愛清'''の嫡子[[三戸清乗]]が'''信愛'''の後継者に正式に定められた後は、[[南部利直]]の娘を自分の子[[北直愛]]の嫁に迎え[[南部氏]]の閨閥として、'''清乗'''と[[北氏]]の家督を争ったが、'''北家'''譜代家臣の支持を得られず'''北家'''の家督をあきらめる事態となった。その後、'''定愛'''の家系は、主流になれず、'''直継'''の家系が[[南氏系北氏]]の主流になっていく。
 
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