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'''CHAGE and ASKA'''(チャゲ アンド アスカ)は、[[CHAGE]]と[[ASKA]]の二人の[[シンガーソングライター]]による[[J-POP]]の[[音楽ユニット]]。
なお、'''CHAGE AND ASUKA'''、'''CHAGE AND ASKA'''、'''Chage and Aska'''などというロゴ表記を使っていたこともあるが、これはあくまでもデザイン上の問題であり、正式名称ではない。
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== 略歴 ==
* [[1978年]] - 高校時代からの友人
* [[1979年]][[8月25日]] - ヤマハ[http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop17.html 第17回ポピュラーソングコンテスト]入賞曲の「ひとり咲き」でワーナー・パイオニア(現[[ワーナーミュージック・ジャパン]])よりデビュー。このときの[[キャッチコピー]]は"'''九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!'''"
* [[1980年]] - シングル「万里の河」が大ヒットする。[[学園祭]][[コンサート]]も積極的に行う。
** デビュー当初は「[[フォークソング|フォーク]][[演歌]]」とも呼ばれるような作風
* [[1981年]] - デビュー3年目にして、60公演にも及ぶ大規模なコンサートツアー「熱風」を行う。周囲では誰もが「無謀だ」と思っていたが、各会場は超満員で大成功だった。
* [[1983年]] - 史上初めて[[国立代々木競技場|国立代々木競技場第一体育館]]をコンサート会場として使用。また、この頃から英語表記の'''CHAGE&ASUKA'''を積極的に使用するようになる。
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* [[1987年]] - ベストアルバム『SUPER BEST』リリース。3年間[[オリコン]]チャートにランクインするという脅威のロングセラー。12月には「[[世界紅白]]」に出場するため[[イギリス|渡英]]。
* [[1989年]] - シングル「LOVE SONG」発売の際に正式表記を英語表記の'''CHAGE&ASUKA'''に変更。その後、デビュー10周年を以って半年間活動を休止。ASKAは渡英し、CHAGEは[[バンド (音楽)|バンド]]"[[MULTI MAX]]"を結成。この時、解散をささやかれたが、彼等が大活躍するのはむしろこの後である。
* [[1990年]] - 初の[[ロンドン]]レコーディングアルバム『SEE YA』を発表。その先行シングル「DO YA DO」発売の際、正式表記を'''CHAGE&ASKA'''に変更。これはASUKAだとイギリス人に「アスーカ」と呼ばれてしまったためである
* [[1991年]] - 前年発表のアルバム『SEE YA』から「太陽と埃の中で」をシングルカットし、オリコン初登場3位の大ヒット。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系ドラマ『[[101回目のプロポーズ]]』の主題歌となった「[[SAY YES]]」が約300万枚、オリコンチャート13週連続1位という空前の大ヒットを記録。当時の記録を次々と塗り替え新記録を樹立していった。そして10月にリリースされたアルバム『[[TREE]]』は発売2週目で[[ミリオンセラー]]達成、当時史上最高のセールスを記録。「[[僕はこの瞳で嘘をつく]]」を[[シングル|シングルカット]]しオリコン初登場1位となる。ASKAはこの年ソロでも「[[はじまりはいつも雨]]」でミリオンセラーを達成している。この頃、ファンクラブ入会者が8万人を超え、お化けユニットといわれる。
* [[1992年]] - 前年から続くコンサートツアー「SAY YES」がチケット即日完売。多くのファンのチケットが入手できないという声にこたえコンサートツアー「BIG TREE」スタート。チケットはあっという間に完売し両ツアーで45万人総動員した。第6回[[日本ゴールドディスク大賞]]7部門中6部門独占受賞する。アルバム『[[SUPER BEST II]]』をリリースし日本国内だけでも300万枚を超える売り上げを記録。アジア諸国でもリリースされ大ヒットする。シングル「if」、アルバム『[[GUYS]]』を発表し、ともに好セールスを記録。年末にはコンサートムービー「GUYS」を上映し、コンサートムービーは当たらないという映画界の常識までも覆した音楽史に残る1年となった。
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