「三笠宮崇仁親王」の版間の差分

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*[[日中国交正常化|日中国交回復]]前の[[1970年代]]前半には、結局実現しなかったが訪中が打診されたことがある。
*京都華族の[[山本實庸]]子爵の末子として育てられた奈良[[円照寺]]門跡[[山本静山尼]](1916-1995年)が、実は三笠宮とは双子の妹(絲<!--糸の旧字体-->子内親王)だったとの異説もある<ref>[[河原敏明]]『昭和天皇の妹君』。</ref>。
*戦後間もない頃[[ブラジル]]に移民した日本人の間で、日本の敗戦を認めた「[[勝ち組|負け組]]」とそれを認めない「[[勝ち組]]」に分裂し、抗争問題に発展していた。移民五十年祭を開く際も勝ち組は非協力的であったが、皇族である三笠宮親王が式典に出席するとわかると事態は一変、双方の協力体制がひかれ、以後和解に進んでいった。移民の皇室に対する思いをうかがわせるエピソードである。
 
==その他==