「クタイ王国」の版間の差分

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さて碑文の記述には、ムーラヴァルマンがいかに信仰心の篤い人格の優れた偉大な王であったかが示されている。また二万頭の牛を捧げて、[[ブラフミン|バラモン]]が祭祀をおこなったこと、王朝の創始者は王の父アシュヴァヴァルマンで、彼の元の名は前述した通りワムサカルタといい、3人の息子がありその一人がムーラヴァルマンであったことを記す。
 
[[画像:kutai_Prasasti_of_Mulawarman.JPG|frame|right|クタイ王国、ムーラヴァルマン王の石碑]]
 
そうしたサンスクリット語の使用は、[[インド]]の影響が強く[[パラヴァ朝]]の影響ではないかと言われてきたが、クタイとジャワの[[タルマヌガラ王国]]の碑文は、碑文に用いられた[[ブラーフミー文字]]が縦線の書き始めに box head と呼ばれる四角い穴ができるという特徴を持ち、[[デカン高原]]の[[カダンバ朝]]で用いられた書体であることが最近の研究で判明している。クタイ王国の年代はこの碑文の字体から4世紀末~5世紀初め頃であることが確定している。