「徳山文宗」の版間の差分

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[[1976年]]ドラフト2位指名でクラウンライターライオンズに入団。俊足、強打の外野手として期待されたが、伸び悩み2軍ではそこそこ活躍するものの1軍ではまったく成績を残せなかった。
 
[[1983年]]限りでロッテを退団すると[[1990年]]まで、[[登録名]]を「'''洪文宗'''」(ホン・ムンジョン、<font lang="{{Lang|ko">|홍문종</font>}})として[[韓国野球委員会|韓国球界]]でプレーした。<br>1年目の1984年シーズンから当年の打撃3冠のタイトルに挑戦中だった三星ライオンズの[[李萬洙]](イ・マンス)と首位打者を巡って熾烈な競争を繰り広げた。しかし、シーズン終了が近づくにつれ、同僚に打撃3冠を取らせようとした三星投手陣がわざと勝負を回避して、9打席連続で敬遠する珍事を経験する。結局その年は打率2位に終わった。その後も韓国では中軸選手として活躍し、黎明期の韓国プロ野球を支えた。
 
== 日本での通算成績 ==