「メテオラ」の版間の差分

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Kliment.A.K. (会話 | 投稿記録)
用語ほか
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site_img_capt = [[至聖三者]](アギア・トリアダ修道院|
ja_name = メテオラ|
en_name = Meteora|
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メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きる[[キリスト教]]の[[修道士]]にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既にこの奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成する事はなく、単独で修行する[[隠修士]]が主流であった。
 
メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、[[セルビア王国 (中世)|セルビア王国]]がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。それまで[[東ローマ帝国]]で修道院活動の中心を担っていた[[アトス山]]は[[1346年]]にはセルビア領の中に組み込まれた。セルビア王[[ウロシュ4世|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]はアソスの修道院に多大な保護を与えその活動を奨励したが、当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、メテオラに住み着いた。その一人が修道士[[メテオラのアサナシオス |アサナシオス]]で、彼はメテオラに[[主の顕栄祭|主の変容]](メタモルフォシス)修道院を創立した。アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して修道院共同体の確立に努めた。これらに前後して聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。
 
アサナシオスの活動は彼の高弟でセルビア王家の出身でもある[[修道士ヨアサフ (セルビア王子)|修道士ヨアサフ]]によって受け継がれる事になった。ドゥシャン王の異母弟でセサリア君主の座に就きメテオラにも保護を与えていた[[シメオン・ウロシュ・パレオロゴス]]の息子であるヨアサフは、早くからこの地の修道士と交流を持ち、セサリアの支配権と俗世の生活を捨ててメテオラに隠退した。[[1384年]]の師アサナシオスの死後、彼は変容修道院の院長に就任し、主聖堂の再建など、修道院の整備に尽力した。
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[[画像:MeteoraMetaVarRosNiko.jpg|300px|right|thumb|メテオラの景色]]
[[画像:Varlaam.jpg|300px|right|thumb|ヴァルラアム修道院]]
*'''大メテオロン修道院'''({{lang|el|Ιερά Μονή Μεγάλου Μετεώρου}})は「[[主の顕栄祭|救世主の変容]]」を意味する'''メタモルフォシス'''({{lang|el|Μεταμόρφωση του Σωτήρος}})の名前でも呼ばれ、[[1387年]]に建立された同名の主聖堂がある。壁画は[[1483年]]から[[1552年]]間に作成されたものが今も残る。かつての食堂の建物が現在は博物館として公開されている。
*'''ヴァルラアム修道院'''({{lang|el|Ιερά Μονή Βαρλαάμ}})は大メテオロンのすぐ隣に立つ修道院である。14世紀に活動した隠修士ヴァルラアムの居所に、[[ヨアニナ]]出身のセオファニスとネクタリオス修道士兄弟によって現在の修道院が建てられた。修道院内部にはフランゴス・カテラノスによる[[フレスコ画]]が残る。
*'''ルサヌ修道院'''({{lang|el|Ιερά Μονή Ρουσσάνου}})は大メテオロン同様に救世主変容を記念した修道院であるが、同時に聖女[[バルバラ (聖人)|ヴァヴァラ]]({{lang|el|Αγία Βαρβάρα}})にも捧げられている。現在の修道院は[[1545年]]の創立。垂直に切り立った岩の上に三層建ての修道院の建物が建つ。[[1950年]]以降、女子修道院となっている。
*'''聖ニコラオス・アナパフサス修道院'''({{lang|el|Ιερά Μονή Αγ. Νικολάου Αναπαυσά}})は通常聖ニコラオス修道院と略称される。14世紀に[[ラリサ]]府主教・スタギ(現[[カランバカ]])・ニカノル修道院の聖ディオニシオスにより創建。[[クレタ]]出身のセオファニスという画家による壁画が残る。
*'''聖ステファノス修道院'''({{lang|el|Ιερά Μονή Αγ. Στεφάνου}})はルサヌ修道院同様に女子修道院。メテオラの中では修道士の活動が早くから見られた場所で、[[1192年]]には隠修士イェレミアスがいた事が知られている。修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、[[1367年]]に共住の修道院として創建。主聖堂には[[聖ハラランボス]]の聖遺物を収めている。