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[[1722年]]には[[ピョートル1世|ピョートル大帝]]がこの地を訪れ、繊維業をこの地に興した。[[19世紀]]にはシューヤは、[[綿花]]栽培と繊維業で栄えるイヴァノヴォ州の中でも、[[綿]]や[[亜麻]]の紡績を行う工場が集積する繊維業の一大中心地となった。しかし近隣のイヴァノヴォの町が急速に伸びてロシアの繊維業の中心都市となり、シューヤの繊維業を圧倒した。
 
現在のシューヤは、木綿や合成繊維などの紡績を行う工場が多い。また醸造業、建材工業なども立地する。12km離れたニコロ・シャルトムスキー修道院はロシアでも最大級の大きさの修道院社会を抱えている。この修道院は[[1425年]]に記録に初出し、[[1652年]]に献堂された聖堂、[[1678年]]に完成した食堂などがある。[[復活聖堂]]([[1798年]])の鐘楼は[[1832年]]に建てられ高さは106mで、自立している鐘楼としては世界一高い。
 
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