「祝朝奉」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
6行目:
{{ネタバレ}}
== 生涯 ==
祝朝奉の名が作中に登場するのは、翠屏山の騒動の後、梁山泊に身を寄せようとした[[楊雄]]、[[石秀]]、[[時遷]]が途中で立ち寄った祝家荘の宿屋で騒動を起こし、村人に時遷を捕らえられた楊雄らが逃げ込んだ居酒屋で、楊雄の顔馴染みでもある店の主人[[杜興]]の口から独竜岡三荘について語られた際の事である。独竜岡には三つの村が隣接しており、中央に祝家荘、西側に扈家荘、東側に李家荘があり、三荘の兵力を合わせると二万にも達すると言う。祝家荘はその三荘の中でも最大の勢力を誇り、主の祝朝奉を中心に、祝氏の三傑と呼ばれる長男の[[祝竜]]、次男の[[祝虎]]、三男の[[祝彪]]の息子達や、鉄棒の異名を取る武芸師範[[欒廷玉]]らと共に羽振りを利かせ、隣接する扈家荘、李家荘と共同戦線を布いて梁山泊に対抗していた。
 
杜興の提案で楊雄と石秀は祝朝奉の盟友でもある李家荘の主[[李応]]を通じて、捕縛された時遷の解放を祝朝奉に要求するが、手紙による要求は祝家の三兄弟に侮辱と共に一蹴され、李応自身が直接出向いて直談判に及ぼうとすると却って祝彪の手で矢傷を負わされてしまう。万策尽きた楊雄らは李家を辞しそのまま梁山泊に駆け込むと、首領の晁蓋、副首領の[[宋江]]らに時遷の救出を懇願した所、梁山泊の側でも人員の増加に伴い糧秣が不足していた関係から祝家荘攻略が宋江、[[呉用]]らからも提言され宋江を総大将とする遠征軍が編成される運びとなった。かくして祝家荘は梁山泊軍と干戈を交える事になったが、元々梁山泊軍の来襲に備えて軍備を固めていた祝家荘の守りは堅牢であり、欒廷玉や扈家荘から援軍として駆けつけてきた女将軍[[扈三娘]]の活躍もあって多数の英雄豪傑を抱える梁山泊軍を相手に互角以上の戦いを繰り広げる。[[林冲]]の手で扈三娘が捕縛されてしまう一幕もあったものの、二度の戦いで[[黄信]]、[[楊林]]、[[王英]]、[[秦明]]、[[トウ飛|鄧飛]]を手取りにすると言う赫々たる戦果を挙げた。