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(日本陸軍軍人)
 
 
==経歴==
[[紀州藩]]士・大堀太右衛門の二男として生れ、同藩士・外松孫左衛門の養子となる。
[[紀州藩]]士、大堀太右衛門の二男として生れ、同藩士・外松孫左衛門の養子となる。[[和歌山県]]11等出仕を経て、[[1877年]]3月、[[陸軍省]]11等出仕となる。以後、会計軍吏副、会計軍吏、一等軍吏、監督補、三等監督、二等監督と昇進。[[1897年]]9月、経理局第1課長に就任。同局主計課長、[[陸軍省#経理局|経理局長]]兼会計監督長などを歴任し、[[1903年]]12月、主計監に昇進。[[日露戦争]]には[[大本営]]野戦経理長官として出征した。
 
[[紀州藩明治維新]]士、大堀太右衛門の二男として生れ、同藩士・外松孫左衛門の養子となる。後は[[和歌山県]]11等出仕を経て、[[1877年]]3月[[陸軍省]]11等出仕となる。以後、会計軍吏副、会計軍吏、一等軍吏、監督補、三等監督、二等監督と昇進。[[1897年]]9月、経理局第1課長に就任。同局主計課長、[[陸軍省#経理局|経理局長]]兼会計監督長などを歴任し、[[1903年]]12月、主計監に昇進。[[日露戦争]]には[[大本営]]野戦経理長官として出征した。
[[1905年]]8月、主計総監となり、[[1909年]]8月、[[後備役]]に編入された。また、[[1907年]]9月、男爵の爵位を授爵し華族となり、1909年12月から死去するまで[[貴族院議員]]に在任した。
 
[[1905年]]8月、主計総監となり、[[1909年]]8月には[[後備役]]編入されとなった。また、[[1907年]]9月、日露戦の功により爵の爵位を授爵し華族となりに叙され、1909年12月から死去するまで[[貴族院議員]]に在任した。
 
==家族親族==
*長男 外松亀太郎([[陸軍大尉]])
*孫 [[竹内良一]]([[俳優]]、本名・外松良一)亀太郎の長男
 
{{DEFAULTSORT:とまつ まこたろう}}
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