「柄谷行人」の版間の差分

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=== 2000-04年 ===
2001年、『トランスクリティーク [[カント]]とマルクス』を、その前年に自らも関わって立ち上げた[[生産]]者[[協同組合]]である、批評空間社[http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/topics/org.html][http://song-deborah.com/copyright/copycoop/criticalspace/010930criticalspace.html]から出版、その内容をもとに、2000年6月、[[アソシエーション]]=「国家と資本への対抗運動」の活動、[[NAM]](New Associationist Movement)[http://web.archive.org/web/20030217163733/http://nam21.org][http://www.radicalphilosophy.com/default.asp?channel_id=2187&editorial_id=9899]を立ち上げる。『NAM原理』(2000・[[太田出版]])は、WEB上で、その内容が公開されながらも、当時1万7千部以上売れた。著名な複数の[[エコロジー]]活動家など、多数のものが参加し、最大700人の会員数を数えた[http://jp.youtube.com/watch?v=x-egd4NKKgI]。[[2001年]][[9月11日]]に[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生した際、NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお、『批評空間』のWEBサイト上で、9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された[http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/karatani/010916.html]が、[[大塚英]]によって鋭く批判されている<ref>大塚は[http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=5335 『小説トリッパー』2001年冬季号]に掲載された「それはただの予言ではないか──「戦時下」の「文学」について──」という文章において、柄谷の「今は右往左往せず、戦後に備えた方がいい」という主旨の呼びかけに対し、「戦時下の今こそ、言葉を発するのが文学者としての任務ではないか」と厳しく批判している([[角川書店]]の『同時多発テロ以後のガイドブック』でも大塚は同様の発言をしている)。</ref>。
 
2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、[[制度設計]]として組み込んだことを目玉とする[[地域通貨]]Q[http://cc.econ.hokudai.ac.jp/works02/Q_LETS.pdf#search='西部忠%20Q']を、NAMとは独立した任意団体として、[[西部忠]]を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社も、このQに参入し、そのproductsを部分的にQ支払い可能にさせ、[[出版]]・[[メディア]]、そして最終的には[[流通]]一般そのもの、の既成の成り立ちを、徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念[[シンポジウム]]では、建築や芸術のジャンルから[[磯崎新]]や[[岡崎乾二郎]]らがパネリストとして並び、[[地域通貨]]Qによる流通の変革への期待が述べられた。しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した<ref>「「努力目標」としての近代を語る」『新現実05』2008での[[大塚英志]]の表現p39</ref>。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した[http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/]。
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