「徳川家定」の版間の差分

家定はこの[[将軍継嗣問題]]でも、表舞台に出ることはほとんど無かったが、安政5年6月25日(1858年)、諸大名を招集して慶福を将軍継嗣にするという意向を伝え、安政5年7月5日(1858年8月13日)に一橋派の諸大名の処分を発表するという異例の行動を見せた。なお、家定が将軍らしい行動を見せたのは、これが最初で最後である。
 
安政5年7月6日(1858年8月14日)、薨去。後を養子となった慶福改め徳川家茂が継いだ。
 
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