「紫原政文」の版間の差分

(大幅移動)
[[福岡県立八女工業高等学校]]在学中は陸上部に在籍していたが、これは師匠である[[中野浩一]]と全く同じ経歴であり、このことから在学中に中野から直々に声をかけられ、競輪へ転向することになった。
 
やがて[[1987年]]、[[日本競輪学校]]に第61期生して入学し、[[1988年]][[5月3日]]に[[京都向日町競輪場]]でデビューし2着。初勝利は翌[[5月4日]]。
 
[[1990年]]の[[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦#全日本新人王戦|競輪祭新人王戦]]で優勝し、中野の弟子でもあったことから大きな注目を浴びたが、[[1996年]]の[[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦#全日本競輪王戦|競輪祭競輪王戦]]決勝3着の他に大きな成績を出すことはできなかった。しかしその後も息の長い活躍を続けており、現在でもほぼ常時[[特別競輪]](現在のGI)に出場している。
 
だが3月に不惑の40歳を迎えた[[2008年]]は大活躍の年となり、年初の[[立川競輪場|立川]](完全優勝)、2月の[[佐世保競輪場|佐世保]]の両記念を制覇したことで弾みをつけ、9月に[[一宮競輪場]]で開催された[[オールスター競輪]]で決勝2着に入り、11月に[[広島競輪場]]で開催された[[ふるさとダービー]]でも決勝2着となに入ったことから2008年最後最後まで[[KEIRINグランプリ]]出場を争う活躍を見せ、[[全日本選抜競輪]]([[西武園競輪場]])3日目までは賞金獲得上位順でグランキング上プリ出場権獲得圏内に置していたが、同大会最終日、決勝5着となった[[佐藤友和]]に逆転され惜しくも出場権を逃した。なお、2008年の賞金獲得ランキング上位18名が選出される[[2009]]のS級S班格付けだけでなく、上位数名が選出についてはほぼ確実視される[[KEIRINグランプリ]]の出場まで争う活躍を見せている。
 
==主な獲得タイトル==
21,763

回編集