「中国暦」の版間の差分

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[[唐]]の時代は、暦の計算方法が飛躍的に発展した。[[玄宗 (唐)|玄宗]]朝に大規模な改暦議論が起こり、中国系・インド系・ペルシア系の各天文学者たちが独自の暦を提案した。そのなかで[[一行]]は大規模な実測を行い、太陽運行の不均等性を考慮し計算に不等間隔二次差[[補間法]]を用いた革新的な[[大衍暦]]を作り、結果的に中国系の暦が官暦に採用された。その後は唐・[[宋 (王朝)|宋]]を通じて細かい改暦が何度もなされたが、とりわけ見るべき発展はなかった。
 
[[元 (王朝)|元]]の時代、[[郭守敬]]らによって革新的な[[授時暦]]が作れられた。1太陽年には[[南宋]]の[[統天暦]]が出した[[グレゴリオ暦]]と同じ値を採用し、また計算方法には三次差補間法や[[球面三角法]]が使用された。授時暦は明代にも大統暦と名を改めて使われ、合わせて364年に及ぶ中国史上最も長く使われた暦となった。大統暦は月日の配当においては問題がなかったが、食の予報など天体暦としては不完全であった。このため、[[清]]の時代には西洋の[[天文学]]に基づく[[時憲暦]]が採用された。
 
== 歴代の暦法 ==