「晋州市 (石家荘市)」の版間の差分

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[[春秋時代]]は[[鼓 (国)|鼓]]の領土であり鉅鹿郡に属した。[[前漢|漢代]]になると県制が施行され[[曲陽県]]が設置された。[[北斉]]の時代に曲陽県が廃止となり藁城に編入されたが、[[596年]]([[開皇]]16年)に再び県制が施行され[[昔陽県]]が成立し、その2年後に鼓城県と改称された。
 
[[1215年]]、[[元 (王朝)|元]]による州制実施の際に晋州とされ、[[1913年]]の州制廃止に伴い[[晋県]]が成立した。[[1939年]]、[[石徳線]]の鉄道を教会に[[晋北県]]及び[[晋南県]]に分割され、[[1941年]]には晋南県と[[藁城県]]南部及び[[正定県]]の一部を統合され[[晋藁県]]が、晋北県は[[深沢県]]及び[[無極県]]と統合され[[深極県]](翌年[[束北県]]と合併し[[束晋県]]となる)が成立した。
 
[[1945年]]9月3日、日本の[[軍政]]が解除されると再び晋県が設置された。[[1958年]]11月に晋県及び深沢県が[[鹿泉市|束鹿県]]に編入されたが、[[1961年]]5月に再び晋県(旧深沢県を含む)が設置された。その後深沢県が再び分離され、[[1991年]]11月30日に県級市に昇格し晋州市が誕生した。