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'''ニノ・ブルジャナゼ'''([[グルジア語]]:ნინო ბურჯანაძე [[英語]]転記:'''Nino Burjanadze''' [[1964年]][[7月16日]] - )は、[[グルジア]]の法律家で、[[政治家]]、[[国会議員]]。グルジアの女性として歴史上初めてとなるグルジア国会議長([[2001年]][[11月9日]]から - [[2008年]][[6月7日]]までグルジアの女性として歴史上初めて、グルジアの国会議長の職にあった。また2度に渡り同国の暫定大統領を務めた。
 
ブルジャナゼは、1964年7月16日に同国クタイシに生まれた。[[1986年]]に、[[トビリシ国立大学]][[法学部]]を[[卒業]]し、[[1986年]]から[[1990年]]まで[[モスクワ大学|モスクワ国立大学]]に留学。[[1990年]]に、[[国際法]]の[[博士]]としてモスクワ国立大学を卒業した。その後[[1991年]]からトビリシ国立大学[[法学部]]の[[助教授]]を務めた。
[[大統領]]辞任を受け、当時最大の[[野党]]「ブルジャナゼ・労働党」の[[党首]]であったブルジャナゼが、翌年[[1月25日]]まで暫定[[大統領]]に就任した。[[1月4日]]の大統領選挙でミヘイル・サアカシュヴィリが後任に決まったが、[[2007年]][[11月25日]]に同大統領が辞任した際、翌年[[1月5日]]の大統領選挙でサアカシュヴィリが再任されるまでの間、再び暫定大統領に就任した。
 
2003年のバラ革命ではサアカシュヴィリと共闘したブルジャナゼだったが、サアカシュヴィリ政権の強権性から次第に距離を置いていくことになる。[[2008年]]4月、翌5月実施のグルジアの議会選挙に与党・[[国民運動]]の候補者として出馬しない意向を示した。同年6月には国会議長を辞任し、[[シンクタンク]]の代表に転身していた。しかし[[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]後にサアカシュヴィリへの批判が高まると、同年[[11月23日]]に野党「[[民主運動・統一グルジア]]」を旗揚げした。
 
==関連項目==
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