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{{韓国の人物|
title=徳山 文宗
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{{Infobox baseball player
|選手名 = 徳山 文宗
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'''徳山 文宗'''(とくやま ふみむね、本名:'''洪文宗'''/ホンムンジュン、ハングル:홍문종、[[1954年]][[11月11日]] -)は、[[埼玉西武ライオンズ|クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ]]、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]に所属した[[在日韓国人]]<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=108942&servcode=600&sectcode=620 <野球>ハンファ、在日同胞の姜秉秀と契約]</ref>の元[[プロ野球選手]]である。ポジションは[[外野手]]。
 
==来歴・人物==
[[1976年]]ドラフト2位指名でクラウンライターライオンズに入団。俊足、強打の外野手として期待されたが、伸び悩み2軍ではそこそこ活躍するものの1軍ではまったく成績を残せなかった。
 
[[1983年]]限りでロッテを退団すると[[1990年]]まで、[[登録名]]を本名の「'''洪文宗'''」(ホン・ムンジョン、{{Lang|ko|홍문종}})として[[韓国野球委員会|韓国球界]]でプレーした。<br>1年目の1984年シーズンから当年の打撃3冠のタイトルに挑戦中だった三星ライオンズの[[李萬洙]](イ・マンス)と首位打者を巡って熾烈な競争を繰り広げた。しかし、シーズン終了が近づくにつれ、同僚に打撃3冠を取らせようとした三星投手陣がわざと勝負を回避して、9打席連続で敬遠する珍事を経験する。結局その年は打率2位に終わった。その後も韓国では中軸選手として活躍し、黎明期の韓国プロ野球を支えた。
 
== 日本での通算成績 ==
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|通算||style="text-align:center;"|7シーズン||693||2434||338||672||43||259||161||297||225||.276||.398
|}
 
== 脚注 ==
<references />
 
==関連項目==
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[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:在日韓国・朝鮮人の野球選手]]
[[Category:関西学生野球連盟の選手]]
[[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]]