「ノート:ジローラモ・フレスコバルディ」の版間の差分

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(コメント)
覚え書き。不勉強で恐縮なんですが、ここに metric modulation という語で何を言おうとしているのか、またそれを持ち出す意図がよくわかりませんが、ここで metric modulation の一種とされているような技法は、僕の認識が正しければ16世紀末には幅広く使われており、フレスコバルディはただそのような技法を用いたという意味ではその他大勢のなかのひとりと見なされるのではないかと思います。エピソードにいいてはただの噂でないことを保証するには、出典が必要で、それに言及した2次資料、あるいは1次資料の所在(図書館、博物館等と、収蔵番号など)の少なくとも片方、可能なら両方が明らかにされるべきだと思います。--[[利用者:Pugnari|Pugnari]] 2006年9月10日 (日) 03:39 (UTC)
 
白水社のdtv-Atlas zur Musikにのってますよ。そんなものも読まないのか?このpugnariってバカ。[[利用者:ごルふスキ|ごルふスキ]]
 
:昔どこかでみたような物言いが懐かしいですね。
:それはいいとして、ご指摘の文献を見てきました。現在日本語版(白水社『カラー 図解音楽事典』)にはアクセスできませんでしたので、ドイツ語版の Atlas zur Musik を見ましたが、当該部分の「出典」にはならないと思います。わたしが昔<nowiki>{{要出典}}</nowiki>をつけた2つの論点について、この文献に沿って指摘します。
:# 「メトリック・モジュレーション」という専門用語はこの文献には出てこないので、それどころか、"Die »Taktangaben« sind '''alte''' Proportionszahlen" とかかれてあるので、Atlas zur Musik の当該部分執筆者は、メトリック・モジュレーションという20世紀の概念を使ってこれを解釈しようとしている痕跡はありません。ここでの '''alte''' の語の内容を説明すれば、この手の分数表示法に類する記譜法を用いた4拍子系と3拍子系の交換は16世紀初頭には定着していたのです。これは、当時「3連符」といった概念がなかったためにとられた方法であり、フレスコバルディよりも100年以上さかのぼった時代の[[ジョスカン・デ・プレ]]のミサ曲にこのような構造が(フレスコバルディの作品よりある意味効果的な形で)頻繁に出現していることは、ルネサンス音楽をかじった人なら良く知っていることだと思います。ですから、「メトリック・モジュレーション」云々のくだりは、17世紀の音楽を扱う際に20世紀に現れた概念を遡及的に適用しているので、'''誰がそれを言ったか'''を明確にしない限り不適切で、独自の研究になるとおもいます。
:# 「『苦労なしには熟練に達せず』との落書きめいたラテン語の落書き」というくだりは、これを書いた方の完全な誤謬です。トッカータ集第2巻のトッカータ9番は演奏に骨が折れることでチェンバリストの間で良く知られた(がゆえに、頻繁に演奏される)曲で、Atlas zur Musik でもこの曲を譜例としてあげているわけですが、この曲の末尾にかかれている ''Non senza fatiga si giunge al fine'' というのは、まず第一にラテン語ではなくイタリア語です(笑)。そして、このイタリア語の正しい日本語訳は「疲れることなく(曲の)末尾まで到達できない」(ちなみに、ドイツ語訳は Das Ende erreicht man nihct ohne Mühe となっています)となるべきで、白水社の『カラー図解音楽辞典』にどういう訳が当ててあるかは知りませんけれども、熟達云々とは全く関係がありません。フレスコバルディは、自覚的に、当時の水準としては演奏困難なものとしてこの曲を書いたのであって、そのために譜面の末尾にこういう言葉を書いたのだというのが一般的な理解だと思います。だから、落書きめいた落書きではなくて、むしろ皮肉交じりの警句とでも言うべきものなのではないでしょうか。
:差し戻しはしばらく様子を見てからにします。フレスコバルディは、バロック鍵盤音楽の歴史の中でも最重要人物の一人と目されているようですから、本当に詳しい方による全面的改訂が必要だと前々から思っているのですが。--[[利用者:Pugnari|Pugnari]] 2008年12月23日 (火) 16:08 (UTC)
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