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== 壬申の乱での活躍 ==
男依は[[舎人]]として大海人皇子に仕えたと考えられている。壬申の乱で大海人皇子が挙兵を決断したとき、男依は[[吉野]]にいた皇子のそばにいた。皇子自身
不破関に入って美濃国と東国全般を勢力下におさめた大海人皇子は、7月2日に軍をそれぞれ数万の二手にわけ、一方を倭([[大和国]])に向かわせ、他方を[[近江国]]に投入した。男依は近江方面の軍の将となった。『[[日本書紀]]』は男依をこの軍の主将とは明言せず、総司令官の役目は[[高市皇子]]にあったと考える学者もいる。しかし、以後の記述で近江方面の軍をさすときに、書紀は「男依等」と記し、他の将を挙げない。男依を第一と位置づける評価の表れであろう。
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