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ベツレヘムに表記統一。
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[[Image:Giotto - Scrovegni - -21- - Massacre of the Innocents.jpg|thumb|200px|幼児虐殺 ]]
'''幼児虐殺'''('''ようじぎゃくさつ''')は[[新約聖書]]の『[[マタイによる福音書]]』2章16節~18節にあらわれるエピソードで、新しい王([[イエス・キリスト]]のこと)が[[ベツレヘム]](ベトレヘム)に生まれたと聞いて怯えた[[ユダヤ]]の支配者[[ヘロデ大王]]がベレヘムで二歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事。
 
キリスト教では伝統的にこの幼児たちをイエスのために命を落とした最初の[[殉教者]]([[致命者]])であるとみなしてきた。伝統的教会では彼らを[[聖人]]とし、[[カトリック教会]]では「幼子殉教者」(おさなごじゅんきょうしゃ)、[[正教会]]に属する[[日本ハリストス正教会]]では「聖嬰児」(せいえいじ)と呼ぶ。カトリックでの記念日は[[12月28日]]、正教会での記憶日は[[12月29日]]。
 
==概説==
マタイ福音書によれば、ヘロデ大王は星を見て救い主の誕生を知り、拝もうとやってきた[[東方の三博士]]たちから「新しい王」の話を聞いた。王は自分の地位を脅かされることを恐れ、いっそ殺してしまおうと考えた。そこでベレヘムで二歳以下のすべての男子を殺害するよう命じ、実行させた。これは[[エレミヤ書]]31章15節にある「ラマで声が聞こえる。すすり泣きとうめき声が……」という預言の成就であるとマタイ福音書は書く。イエスの両親[[ヨセフ]]と[[マリア]]はお告げでこの危機を知り、[[エジプト]]に逃れたためイエスの殺害を免れた。
 
===批判的見解===
ある人々はマタイ福音書のこのような記述は事実ではなく、イエスの生涯を旧約聖書の預言の実現として描こうとするマタイの意図によって創作されたエピソードであると考える。なぜなら、[[フラウィウス・ヨセフス]]などの一般の歴史家の記述はおろか、他の福音書にすらこの幼児虐殺のエピソードは記されていないからである。
 
たとえ事実であったとしても当時のベレヘムは本当の寒村であったため、ごく小さな規模の出来事であったと考えられる。ある学者は300人程度、聖書学者[[レイモンド・ブラウン]]はせいぜい1000人程度であったと考える。そう考えればどんなに多く見積もっても殺害されたのは20~30人程度であったのではないかと推測される。当時の専制君主はそれを越える規模の非道な行為をしばしば行っていたため、ヨセフスや他の歴史家に書かれなかったのではないかと考えることもできよう。
 
キリスト教伝承において、この幼子殉教者たちの数はしばしば誇大化して扱われた。正教会の伝承では14000人とし、シリア教会での聖人伝には64000人と記されていた。現代の研究者は当然このような数字は過度の誇張であると考えている。