「榛原 (和紙舗)」の版間の差分

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夢二の他にも、[[柴田是眞]]や、[[河鍋暁斎]]、[[川瀬巴水]]、[[川端玉章]]、[[伊東深水]]などの絵師とも交流が深く、彼らの残した下絵を多く所有し、一部はうちわ絵などとして復刻され、店頭に並んでいる。
 
[[ウィーン万国博覧会]](1873年)、[[パリ万国博覧会]](1878年)に日本でめて[[和紙]]を出品し、褒状を授与した。この間欧州に渡った榛原製の和紙は、[[イギリス]]の[[ビクトリア・アルバート美術館]]、[[グラスゴー美術館]]、[[フランス]]の[[ルーブル美術館]]に併設されている[[パリ装飾美術館]]などに、現在も保存されている。
 
大正時代以降の産業発展に伴い、各方面に押し寄せた自動化、省力化の波に対応すべく、日本で初めて計測記録紙の国産化に成功し、以後改良を重ね、現在でも神楽坂工場(昭和39年より稼動)を中心に国内、さらに諸外国へ、当該商品を販売している。
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