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'''阿部 定吉'''(あべ さだよし、[[1505年]]([[永正]]2年)
[[徳川家康]]の祖父・[[松平清康]]に仕えた家臣である。[[1535年]]、清康が[[尾張]]の[[織田信秀]]([[織田信長]]の父)と対決すべく侵攻を開始したとき、突如として陣中に定吉謀反の噂が流れた。これは信秀の謀略であったとも言われているが、清康はあまり定吉を信頼していなかったらしく、この噂を信じ始めた。一方、定吉はもし自分が清康に成敗されるようであればそれまでだったと覚悟を決め、息子の[[阿部弥七郎]]を呼んで、「もし自分が討たれるようなことがあったら、わしの無実を証明してくれ」と潔白を示す書状を弥七郎に託した。
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なぜ、広忠は父を殺した男の父を許したのであろうか? これは戦国の謎の一つといえる。
[[Category:戦国武将|あへさたよし]]
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