「ルイ=エミール・ベルタン」の版間の差分

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日本でのベルタンの本当の遺産は一連の近代的な造船所、特に[[呉海軍工廠|呉]]と[[佐世保海軍工廠|佐世保工廠]]の建造だった。ちなみに日本で最初の近代工廠である[[横須賀海軍工廠|横須賀]]は[[1865年]]により早くフランス人の技術者、[[レオンス・ヴェルニー]]によって作られた。[[第一次世界大戦]]においてフランスの要塞化艦隊のために12隻の[[駆逐艦]]が建造されたのがこれら日本の工廠である。
 
彼の死後に名誉を祝して、[[フランス海軍]]の[[軽巡洋艦]]に彼の名前、「[[エミール・ベルタン (軽巡洋艦)|エミール・ベルタン]]」がつけられた。彼はまた、[[ローリング]]と[[ピッチング]]の研究のため、ツイン・[[オシログラフ]]を発明した。
 
また、彼は数冊の著書を残している。