「碓井貞光」の版間の差分

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{{武士/開始|碓井貞光/平貞光/橘貞光}}
'''碓井 貞光'''(うすい さだみつ、[[天暦]]8年([[954年]]) - [[治安 (元号)|治安]]元年([[1021年]]))は[[平安時代]]中期の[[武将]]。正式な名のりは'''平忠通'''(たいら の ただみち)。貞道、忠道とも記される。生まれは[[碓氷峠]]付近とする説と[[相模国]]とする説がある。
{{武士/時代|[[平安時代]]中期}}
{{武士/生誕|[[天暦]]8年([[954年]]?}}
{{武士/死没|[[治安 (元号)|治安]]元年([[1021年]])}}
{{武士/別名|貞通、貞道、忠通?}}
{{武士/主君|[[源頼光]]}}
{{武士/氏族|[[桓武平氏]]?または[[橘氏]]?}}
{{武士/父母|父:[[碓井貞兼]]? 母:不詳}}
{{武士/兄弟|不詳}}
{{武士/妻|正室:不詳}}
{{武士/子|[[平忠通]]?}}
{{武士/終了}}
 
'''碓井 貞光'''(うすい さだみつ、[[天暦]]8年([[954年]] - [[治安 (元号)|治安]]元年([[1021年]]))は[[平安時代]]中期の[[武将]]、[[武士]]。正式な名のりは'''忠通'''(たいら の ただみち)。貞道、忠道姓とも橘姓とも記さ云われる。生まれは[[碓氷峠]]付近とする説と[[相模国]]とする説がある。
 
[[源頼光]]に仕え、[[渡辺綱]]を筆頭とする[[頼光四天王]]の一人と称される。[[大江山]]の[[酒呑童子]]退治で有名。[[今昔物語]]には[[源頼光]]の三人の家来の一人として、その名が記されている(なお、[[今昔物語]]には四天王の筆頭[[渡辺綱]]の名前はない)。
 
[[童話]]の[[金太郎]]では木こりに身をやつし、強い人材を求めて旅をするさなか[[足柄山]]で[[金太郎]]を見いだして[[源頼光]]のもとへ連れて行くという役割を与えられている。
 
最近の研究では平忠通は貞光(貞通)の子で、これが[[三浦氏]]らの先祖になったとも云われている。
 
{{DEFAULTSORT:うすい の さたみつ}}
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[[Category:954年生]]
[[Category:1021年没]]
[[Category:平氏|うすい の さたみつ]]
[[Category:橘氏|うすい の さたみつ]]
 
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