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'''山内 倫氏'''(やまうち ともうじ、[[明暦]]3年([[1657年]]) - [[宝永]]6年11年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]([[1709年]][[3月1日]]))は、[[江戸時代]]の[[土佐藩]]の重臣。本姓安東氏。[[山内節]]の長男。母は[[山内豊吉]]の娘の寛。幼名省太郎。通称、半左衛門、蔵人。室は山内信勝の娘、野々口永由の娘、田辺林雪の娘、山内吉明の娘と代わる。子に五男[[山内晴氏]]、[[山内氏興]](半左衛門)。
 
明暦3年宿毛に生まれる。父の死後、[[元禄]]12年([[1699年]])に家督を相続し、第4代宿毛領主となる。り、[[承応]]元年([[1652年]])に帰国する。宝永4年に大地震が起こり宿毛の町は壊滅、その復興に取り掛かり志半ばで宝永6年に53歳で没。法名は高照院寛山鳳仁。跡は晴氏が継いだ。