「ジョン・アンダーソン (外野手)」の版間の差分

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[[1901年]]にアメリカンリーグが発足するとミルウォーキー・ブルワーズ(現ボルチモア・オリオールズ)に移籍する。年齢とともに長打の数は減っていたが、1901年に記録した35盗塁はリーグ7位の成績だった。その後ニューヨーク・ハイランダース、ワシントン・セネタース(現ツインズ)と渡り歩き、1906年にセネタースで自身最多となる39盗塁を記録、この数は[[エルマー・フリック]]と並びリーグ最多であった。
 
チームを乗せる元気なプレーヤーだったが、それが過ぎたことがある。満塁の場面で盗塁してしまったのだ。それも1904年、1905年と2年連続である。1905年のほうは、1点差で迎えた9回2アウトという場面だった。1塁ランナーだったアンダーソンは突然走り出し、タッチアウトでゲームセットになってしまったのである。
 
1908年のシカゴ・ホワイトソックス在籍を最後にメジャーから退き、1949年にマサチューセッツ州で亡くなった。