「猟官制」の版間の差分

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=== 拡大・進展 ===
アメリカ独立当初からあり、[[トーマス・ジェファーソン|ジェファーソン]]が唱えた「政府は小さければよい」という主義を背景として、開拓者が築いた西部諸州では農民を中心とした比較的単純な州政府ができあがり、そこでは専門の知識を問われず誰でも郡治安官・郡書記・道路監視人・州会計検査官・知事などの職に就くことができた。公職に伴う収入は大きかったので、西部定住者は短期在任制(''Short term'')と公職交代制(''Rotation in Office'')という方式を熱心に唱えるようになる。[[1828年]]に「人民の権利」の擁護者として[[アンドリュー・ジャクソン]]が大統領に就任した際、西部に根強くあった「東部の金融や合衆国政府の重要な公職は、一部の貴族に独占されている」という疑いに応える形で、政府の人員を入れ替えそのあとに自分の支持者や友人を据えた。このやり方を初めとして、政治と行政を官僚や専門家から一般大衆の手に取り戻すべきであるという信念がジャクソンの時代に定着し、[[エイブラハム・リンカーン]]大統領の時代に「猟官制」は政権党の交代と結びつく。大統領選挙戦が激化して大がかりになり、政党がマシーンと呼ばれるような厳格な組織となるにしたがって、党員の忠誠に報いるために公職を提供するというシステムが不可欠になったためと考えられる。前述のウィリアム・マーシーによる命名もジャクソン政権期のことであった。また、リンカーンはこの制度を利用して1639の公職中1457の交代を行ったと言われている。<!-- 高畠通敏『政治学への道案内』増補新版(三一書房、1984年) ISBN 978-4-380-84215-3 P147 -->
 
その一方でこのシステムはだが、[[資本主義]]の発達(アメリカの場合には国土拡大や移民増加、イギリスの場合には[[選挙権]]の拡大が加味される)によって社会構造が複雑化すると、政党政治が様々な利害関係と結びついて[[金権政治]]へと転化されやすくなり、猟官制が選挙運動や資金提供に対する見返りへと変化し、無能な官吏の増加と汚職の原因となった。そのため、アメリカでは[[1871年]]には政府職員の任用に試験を課す法律が採択される。[[1881年]][[ジェームズ・ガーフィールド|ガーフィールド大統領]]が失望させられた猟官者に射殺されるという事件をへて官吏任用制改革の動きが加速し、翌年民主党が下院で過半数を占めて連邦官吏任用制度委員会を創設する。そのとき[[グロバー・クリーブランド|クリーブランド大統領]]は党派的な免官を行わず、[[1915年]]までに「猟官制」は連邦政府レベルでほぼ終熄した。
 
=== 反省と転換 ===