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'''明日の神話'''(あすのしんわ)は[[岡本太郎]]が制作した巨大壁画(縦5.5メートル、横30メートル)。[[東京都]][[渋谷区]]、[[渋谷マークシティ]]の連絡通路にある。[[第五福竜丸]]が[[被爆]]した際の[[原子水素爆弾|爆]]の炸裂の瞬間をテーマにしている。[[アスベスト]]製の板に一部コンクリートを盛り付けてアクリル系塗料で描かれている。悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされる。[[日本万国博覧会|大阪万博]]のシンボルタワー「[[太陽の塔]]」に並ぶ、岡本の代表作。
 
== 概要 ==
岡本の絵画では最も大きな作品というされる。岡本は[[メキシコ]]に建設されるホテルのために制作したが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となっていた。[[2003年]]9月、メキシコ国内の倉庫で発見、岡本のパートナーである[[岡本敏子]]が確認作業を行った。[[2004年]]10月、岡本太郎記念現代芸術振興財団などが、再生プロジェクトを立ち上げた。<ref>[http://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html 『明日の神話』とは](岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルホームページ )</ref>修復のため、100個以上に分かれた壁画の断片を日本に船で移送、[[2005年]]7月から[[愛媛県]][[東温市]]で絵画修復の専門家、吉村絵美留らが作業を行い、[[2006年]]6月に完了、報道陣に公開された。
 
修復した壁画は2006年[[7月8日]]から8月末まで、東京[[汐留]]の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で一般公開された。展示後、岡本太郎記念現代芸術振興財団は永久保存を望んでおり、「[[太陽の塔]]」がある[[大阪府]][[吹田市]]をはじめ、被爆地である[[広島市]]、[[長崎市]]の市民団体、及び[[東京都]][[渋谷区]]が、それぞれ誘致運動を行っていたが、[[2008年]][[3月18日]]、財団は[[東京都]][[渋谷区]]への恒久設置を決め、同年[[10月17日]]、壁画の[[渋谷マークシティ]]の連絡通路への取り付け作業が完了。同年[[11月17日]]より一般公開されている。
 
[[2007年]][[4月27日]]から2008年[[6月29日]]までの期間で[[東京都現代美術館]]にて特別公開された。<ref>[http://www.1101.com/asunoshinwa/news.html 『明日の神話』公開情報](岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルホームページ )</ref>
 
== 作品が辿った軌跡 ==
*[[1967年]] - 岡本太郎が「メキシコシティ中心部で建設計画中のホテルに壁画を描いてほしい」と依頼を受ける
*[[1968年]] - 制作開始、大阪万博の作品と並行して取り組み、岡本は日本とメキシコを何度も往復したという
*[[1969年]] - ホテルロビーに壁画を仮設置後、最終仕上げに入ったが、依頼者の経済状況が悪化し、そのまま放置され、行方不明に。
*[[2003年]] - メキシコシティ郊外の倉庫で発見、パートナーの岡本敏子が真贋を確認
*[[2004年]] - 岡本太郎記念現代芸術振興財団内に再生プロジェクト事務局が発足、壁画修復が本格的に始動
*[[2005年]] - メキシコにて壁画を解体・梱包後、岡本敏子が急逝7月、愛媛県東温市で修復作業が始まる
*[[2006年]] - 6月に修復が完了し、[[7月7日]]、汐留日テレプラザにて報道陣に公開翌日に東京汐留で一般公開
*[[2007年]] - 4月から東京都現代美術館で特別公開
*[[2008年]] - [[10月17日]]、[[京王井の頭線]][[渋谷駅]]連絡通路に恒久設置、[[11月17日より]]に除幕式、一般公開開始
 
== ギャラリー ==