「気比松原」の版間の差分

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立ち入り禁止理由の訂正、各種指定への言及
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夏になれば近畿や中京からの海水浴客で賑わいを見せる。また日本海一と自称する花火大会とそれに伴い行われるとうろう流しの会場にもなると人でごった返す。冬には松林一体が雪化粧されて美しく、日本海の荒波ともあいまった壮麗な風景となる。普段は静かでひっそりとした場所である。松原の中には散策路がめぐらされている。
 
年に2,3回ほど[[マツ材線虫病]]防除の薬品が散布されるので立ち入り禁止になる日がある。また、マツ材線虫病の感染拡大を防ぐため、感染木の伐倒駆除や殺菌剤樹幹注入による防除もおこなわれている。
 
== 歴史 ==
[[9世紀]]には、[[石川県]][[羽咋郡]][[志賀町]][[福浦港]]の福良津と共に[[渤海 (国)|渤海使]]の為の使節[[松原客館]]が置かれた。古来より[[氣比神宮]]の神苑として[[神人]]が近隣住民の利用を管理していたが、1570年ごろに[[織田信長]]が氣比神宮から松原を没収した。[[江戸時代]]は[[小浜藩]]の御用木(藩有林)となり、近隣住民は藩への納税によって燃料となる松葉採集を行ってきた。松原はこうした管理によって後世へと残った<ref>http://wf.ocean.cst.nihon-u.ac.jp/2005-2006kennkyuugyouseki/gakujutu%20pdf/gakujutu%20satou.pdf 海浜空間における松林の景観管理に関する研究</ref>。
 
明治以降は官有林となり、[[1899年]]に国有林野法制定とともに[[国有林]]となった。現在、潮害防備[[保安林]]および保健保安林に指定され、[[林野庁]]福井森林管理署によって保護管理がなされている。
 
== 所在地 ==