「タケカワユキヒデ」の版間の差分

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小学生の頃は、ヴァイオリンを習っていた。作曲する音楽も、自然とクラシック調の曲が多かったという。突然曲が浮かぶといけないので、草野球をする時にまで五線譜を持っていく、変わった子供だった。
 
中学2年の時来日した[[ビートルズ]]に衝撃を受け、バンド活動(バンド名は「トレクノック」といい、「Concert(コンサート)」の逆スペル)を始める。当時ロックビートルズは大人たちから不良視されていたが、タケカワは何とかロックを認めてもらいたくて、こともあろうか教師たちの前でビートルズの「[[シー・ラヴズ・ユー]]」を演奏する。ところが、意外なことに教師たちからは喝采拍手を受ける。これがさらにミュージシャンへの志を決定づけた。いまだにビートルズを敬愛しており、芸能界一のビートルズ・フリークとしても知られる。
 
[[埼玉県立浦和高等学校]]では、ラグビー部に入ろうとしたが、怪我でピアノを弾けなくなるからという理由で音楽家の父に止めさせられたとのことである。
 
大学受験したのは[[東京外国語大学]]英米語学科と[[早稲田大学]]政治経済学部と[[上智大学]]歴史学部。当時、[[東京外国語大学]]の合格発表と入学手続きは[[早稲田大学]]の入学式の何日か後だったため、いったん[[早稲田大学]]に入学して[[東京外国語大学]]の合格発表を待ったという。
 
デビューしたときは未だ学生で、その後の曲のヒットなどにより多忙になり、一時は大学の卒業が危ぶまれたものの、学則で認められた8年の在学と3年の休学を使いきり、タケカワは無事に卒業した。なお、当時のエッセイで入学時に大学に問い合わせて11年の在学が可能であることを確認していたと明かしている。なお卒業式では総代を務め、芸能マスコミがこれを伝えた。
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放送開始当初から[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]の人気子供番組「[[天才てれびくんシリーズ|天才てれびくん]]」の音楽を担当しており、特に1998からは同番組音楽コーナー「[[ミュージックてれびくん]]」の音楽監督を務めている。
 
日本のアーティストでは[[坂本九]]などに影響を受けている。
 
== 関連項目 ==