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'''廃帝 昭業'''(はいてい しょうぎょう、[[473年]] - [[494年]]、在位:[[493年]] - 494年)は、[[中国]]の[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の[[斉 (南朝)|斉]]の第3代皇帝。姓は蕭、[[諱]]は昭業、[[字]]は元尚、幼名は法身。第2代皇帝[[武帝 (南朝斉)|武帝]]の孫。斉の廃帝には他に[[廃帝昭文|海陵王(蕭昭文)]]、東昏侯([[蕭宝巻]]がいることから、名を加えて呼ばれるか、死後の位から'''鬱林王'''と通称される。
 
父で皇太子であった蕭長懋の死により、皇太孫に立てられる。その2ヶ月後には武帝も亡くなったため即位した。まだ20歳過ぎと若かったことから、竟陵王[[蕭子良]]と西昌侯[[明帝 (南朝斉)|蕭鸞]]が政務を輔けた。