「鞍馬天狗横浜に現る」の版間の差分

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'''鞍馬天狗横浜に現る'''は[[1942(昭和17)年]]製作の日本映画。監督・脚本[[伊藤大輔]] 主演[[嵐寛寿郎]] 製作[[大映京都]] 全8巻 1942(昭和17)年10月29日封切り
 
 
== あらすじ ==
舞台は明治初期の[[横浜]]。悪徳商人ヤコブは、表向きは[[居留地]]で貿易商を営んでいるが、実は大量の贋金で暴利を得る悪徳商人ていた。このままでは、わが国の財政は破綻するとの新政府の意向で、鞍馬天狗こと浪人倉田典膳は、ヤコブの経営する曲馬団ダフネに用心棒に身をやつして潜入している。そのころ、盲目の女芸人お力と[[角兵衛獅子]]の杉作、チャコの兄妹が居留地に現れる。名医[[ヘボン]]博士にお力の目を治療してもらうためだ。杉作らは、ヤコブ団の陰謀に巻き込まれて死んだ造船技師小原の遺書を手に入れ、倉田と知り合う。小原の遺書を見た倉田は、杉作とともにヤコブの贋金工場を発見する。秘密を見られたヤコブは、倉田を抹殺すべく、小原の従弟三浦勝比古に兄を殺したのは鞍馬天狗で敵を討つようにてと唆すのであった。こうして、鞍馬天狗とヤコブとの戦いの幕が切って落とされる・・・
 
== 概説 ==
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伊藤は、ロケ地の岡山県[[玉野]]の造船所のシーン嵐寛寿郎に300メートル疾走しながらの乱闘をワンカットで撮るようにし[[シークエンス]]を設けた。伊藤自身、寛寿郎の美しい[[殺陣]]を買っていたが「完成されすぎたうらみもあります。そこへいま一つ破調のリズムを、“戟”の波紋を投ずるべき」という狙いがあった。
呼吸全力疾走でしか乱れ刀を振り回して立ち回りには、さすがの寛寿郎も、そんなんでけセンセイ、これちょっと無理やと思いへんっけどな。」と断った寛寿郎に、伊藤は「ああ。そうですか。あなたにはむり無理ですか。」と突っぱね、逆に寛寿郎を発奮させて、このシーンを撮った。試写を見た伊藤は、300メートル走りながら左右に敵を切り捨てる寛寿郎の裾が一糸も乱れていないのに感心し「あれほどの大移動で、裾が乱れておりません。きちっとさばいているのです。アラカン、このひともわざおぎです。」と賛辞を送った。寛寿郎も「すごい迫力や。走れるものやなあと我ながら感激してしもた。イドウダイスキ([[移動撮影]]を得意とした伊藤監督のもじり)とはよういうた。なるほどと納得した。」と述べている。残念ながら、戦後[[進駐軍]]の検閲によりこのシーンは削除されて見ることは出来ない。
 
戦後「鞍馬天狗・黄金地獄」と改題されてリバイバル上映された。
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小原正樹・三浦勝比古・・・[[原健策]]
 
 
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原作・・・・・[[大佛次郎]]