「エーリヒ・ヒュッケル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ykosub (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
m 少し追加。
1行目:
'''エーリヒ・アルマント・アルトゥール・ヨーゼフ・ヒュッケル '''('''Erich Armand Arthur Joseph Hückel'''、[[1896年]][[8月9日]]- [[1980年]][[2月16日]])は[[ドイツ]]の[[化学者]]、[[物理学者]]である。
 
[[ベルリン]]に生れて、[[ゲッチンゲン大学]]で物理と数学を学んだ。[[チューリッヒ]]の''Eidgenossische Technische Hochschule''で、[[ピーター・デバイ]]の助手になった。[[1931年]]には[[ヒュッケル則]]を発表した。[[1937年]]から[[マールブルク大学]]の教授になった。
 
[[1923年]]にデバイと[[電解液]]の統計理論で取り扱って、活量係数を求める[[デバイ-ヒュッケルの式]]を発表した。1930年代に発表した[[分子軌道法]]の理論でもしられる。
 
==関連記事==