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'''メタコメット'''(Metacomet、[[1639年]] - [[1676年]][[8月12日]])とは[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]][[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長で、'''メタコム'''(Metacom)あるいは、白人から'''フィリップ王'''(King Philip's)とも呼ばれた。これは[[マケドニア王国]]のフィリップ王から肖っており、兄の[[ワムスッタ]]も同じ様にマケドニアのアレキサンダー王からアレキサンダーと呼ばれている。マケドニアの2人の古代王を記念して2人の若者に与えらた。メタコメットは'''[[フィリップ王戦争]]'''を引き起こした[[ネイティブアメリカン]]として知られる。
 
メタコメットは飢えや病気で苦しんでいた[[プリマス (マサチューセッツ州)|プリマス]]入植地の[[ピルグリムファーザーズ]]の[[イギリス]]人を救ったとして有名なワンパノアグ族の酋長(大首長)[[マサソイト]]の次男であり、(メタコメット本人も[[1621年]]にピルグリムファーザーズと友になったチーフでもある。)[[ワムスッタ]](ワムサダ、白人からアレキサンダーとも呼ばれていた)の弟である。
 
マサソイト死後は長男のワムスッタがワンパノアグ族の新酋長になるが、白人側はマサソイトと結んだ両者の平和と[[プリマス植民地]]のための12,000エーカー(48.5 km²)の土地を譲渡する条約を無視して入植地を拡大して行った。そのためワムスッタは不快感をあらわにしていた。白人との入植地の土地について話し合い、村に帰る途中、ワムスッタは謎の死(病気よる死が有力)を遂げてしまった。そのため同年に新酋長には24歳のワムスッタの弟メタコメットに受け継がれた。[[1674年]]12月白人側に付き[[キリスト教]]に改宗したワンパノアグ族の[[ジョン・ササモン]]がメタコメット酋長が白人に対して戦闘準備をしているとプリマス入植地の総督[[ジョシア・ウィンスロー]]に告げた。(ササモンは後に別部族の者に殺害された。)そして[[1675年]]6月にメタコメットは入植地を拡大し自分達の土地を奪おうとする白人に対抗するためメタコメットを支持しワンパノアグ族と同盟を結んでいた部族と共に白人の入植地を攻撃し、白人と戦い、白人入植者達との間で戦争が勃発した。この戦争はフィリップ王戦争と呼ばれた。結局[[1676年]]8月12日メタコメット酋長が戦死し、白人側の勝利で戦争は終結するが、死んだメタコム酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、切断された首は槍の先に突き刺され、白人達の村に約20年近く見せしめとして飾れた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族は奴隷として[[バミューダ諸島]]に送られた。
 
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[[Category:アメリカ合衆国の先住民族の人物|めたこめつと]]
[[Category:1639年生]]
[[Category:1676年没]]
 
[[ca:Metacomet]]